田瀬法律事務所の日記
2012年12月20日 木曜日
何と言っていいやら・・・@恵比寿の弁護士のブログ
今週発売の週間新潮にはホームレスになった弁護士の記事が載っております。
詳細は週間新潮に譲るとして記事の大まかな内容な次のようなものです。
・30数年前に比較的若年で司法試験に合格し、第二東京弁護士会に登録した青年がおり、その青年は家庭を持って順調な弁護士としての人生を歩むかのように見えたものの、彼は難しい仕事はすぐに放り投げる性格だったようで、当然のことながら勤務していた法律事務所を度々解雇され、その後誰も雇ってくれなくなった。
そうこうしているうちに、妻以外の女性と深い仲となり、家庭も放り出してその女性と同居するようになり、弁護士としても仕事はしなくなり、その女性のヒモのような暮らしをしていた。
・しかし、飲食店を自営していた愛人女性が亡くなると、生活の糧を無くしたその元弁護士(おそらく自分から弁護士登録を抹消したと思われます)はホームレスとなり、たまたま公園でホームレスのための炊き出しをしていた教会の牧師と知り合い、自身が元弁護士であったことを明かした。
牧師は、教会の信者に声をかけてカンパを募って、その弁護士のためにアパートを借り、教会の一部を事務所として使わせ、埼玉県弁護士会に再登録をして、主として多重債務者のための弁護士活動を行っていた。
・ところが、ここ1年くらい埼玉弁護士会に、その弁護士は全く依頼した仕事をしていないという苦情が寄せられるようになり、今年の10月頃突然失踪してしまい、依頼された案件は宙に浮いてしまう事態になった。
その弁護士は徘徊していたところを保護され、孫娘が一時自宅に引き取り、新しい衣類を用意し、まとまった現金を渡したところ、すぐに孫娘宅からも失踪してしまった。
ちなみに、保護されたという知らせを受けて駆けつけた孫娘によると、長期間風呂に入っていなかったようで、凄まじい臭気を放っていたらしい。
この弁護士のことは他のサイトで大まかなことは知っていましたが、全国規模の雑誌で今回取り上げられ、改めて重い気分になりました。
この弁護士(週間新潮では実名と出身大学も載せております)は、弁護士としてのプライドも人間としてのプライドも無くした人物としか言いようがなく、極めて特異なケースだと思います。
おそらく合格率が1パーセント強で司法試験が最も難しいと言われた昭和50年代前半に比較的若年で合格しているわけですから「地頭(じあたま)」自体は悪くないのでしょう。
しかし、若い頃から、困難な仕事に対面するとすぐに逃げ出す性格だったというのは、弁護士としての資質が最初から無いと同時に、おそらく他の仕事に就いていても、多分同じようにすぐに放り出して、周りに迷惑をかけまくっていたことだと思います。
このような弁護士は、この人物限りにしてもらいたいものです。
詳細は週間新潮に譲るとして記事の大まかな内容な次のようなものです。
・30数年前に比較的若年で司法試験に合格し、第二東京弁護士会に登録した青年がおり、その青年は家庭を持って順調な弁護士としての人生を歩むかのように見えたものの、彼は難しい仕事はすぐに放り投げる性格だったようで、当然のことながら勤務していた法律事務所を度々解雇され、その後誰も雇ってくれなくなった。
そうこうしているうちに、妻以外の女性と深い仲となり、家庭も放り出してその女性と同居するようになり、弁護士としても仕事はしなくなり、その女性のヒモのような暮らしをしていた。
・しかし、飲食店を自営していた愛人女性が亡くなると、生活の糧を無くしたその元弁護士(おそらく自分から弁護士登録を抹消したと思われます)はホームレスとなり、たまたま公園でホームレスのための炊き出しをしていた教会の牧師と知り合い、自身が元弁護士であったことを明かした。
牧師は、教会の信者に声をかけてカンパを募って、その弁護士のためにアパートを借り、教会の一部を事務所として使わせ、埼玉県弁護士会に再登録をして、主として多重債務者のための弁護士活動を行っていた。
・ところが、ここ1年くらい埼玉弁護士会に、その弁護士は全く依頼した仕事をしていないという苦情が寄せられるようになり、今年の10月頃突然失踪してしまい、依頼された案件は宙に浮いてしまう事態になった。
その弁護士は徘徊していたところを保護され、孫娘が一時自宅に引き取り、新しい衣類を用意し、まとまった現金を渡したところ、すぐに孫娘宅からも失踪してしまった。
ちなみに、保護されたという知らせを受けて駆けつけた孫娘によると、長期間風呂に入っていなかったようで、凄まじい臭気を放っていたらしい。
この弁護士のことは他のサイトで大まかなことは知っていましたが、全国規模の雑誌で今回取り上げられ、改めて重い気分になりました。
この弁護士(週間新潮では実名と出身大学も載せております)は、弁護士としてのプライドも人間としてのプライドも無くした人物としか言いようがなく、極めて特異なケースだと思います。
おそらく合格率が1パーセント強で司法試験が最も難しいと言われた昭和50年代前半に比較的若年で合格しているわけですから「地頭(じあたま)」自体は悪くないのでしょう。
しかし、若い頃から、困難な仕事に対面するとすぐに逃げ出す性格だったというのは、弁護士としての資質が最初から無いと同時に、おそらく他の仕事に就いていても、多分同じようにすぐに放り出して、周りに迷惑をかけまくっていたことだと思います。
このような弁護士は、この人物限りにしてもらいたいものです。
投稿者 田瀬英敏法律事務所(恵比寿の弁護士)