田瀬法律事務所の日記

2012年3月12日 月曜日

あれから1年経ちました。

 昨日は東日本大震災からちょうど1年が経過した日でした。
 昨日は、政府主催の追悼式典や震災に見舞われた自治体主催の追悼式典など、多くの追悼式典が行われ、政府主催の追悼式典は震災発生時刻に出席者全員が1分間の黙祷を行った後、天皇陛下から追悼のおことばがありました。
  心臓手術から間もない天皇陛下のご体調を案じて、陛下(皇后陛下)はおことばの後すぐにご退席になられましたが、その後特に甚大な被害に見舞われた岩手、宮城、福島三県の遺族代表の方が震災から1年を経ての追悼の辞を述べられました。
  当方はテレビで追悼式典を観ており、黙祷時は自宅のテレビの前で立ち上がって黙祷をしました。
  天皇、皇后両陛下がご退席になられた後の、東北三県の遺族代表の追悼の辞は涙を誘うものでしたが、2番目に追悼の辞を述べた宮城県の遺族代表の女性の追悼の辞は特に一際涙を誘い、当方もテレビを見ながらもらい泣きをしました。
  宮城県の中で最も人的被害の多かった石巻市に住む40代後半のその女性は、今回の震災で自宅を失い、さらに、ご両親、20代の息子さん、小学生の娘さんの家族4人を津波で亡くしました。
 息子さんは震災当日の1週間前に結婚式を挙げたばかりで、当日は市役所に婚姻届を出しに行って帰る途中津波に浚われたそうです。
  その女性は地震直後に妊娠しているお嫁さんを車に乗せてお嫁さんの実家に逃れたため二人とも津波に巻き込まれずに済みましたが、自宅と家族4人を失うという残酷な運命が待っていたわけです。
  震災の後は家族の後を追って死ぬことばかり考える日が続き、生きる意味を見失い、生きる気力すらも喪失したとのことですが、幸いにして難を逃れたお嫁さんの体内に宿っていた息子さんの忘れ形見とも言うべきお孫さんが夏に誕生し、そのお孫さんの成長を見届けることが亡くなった息子さんへの最大の供養になると信じて、現在は仕事をしながら、お嫁さんの育児を手伝って、お孫さんの成長に目を細める毎日が続いており、今では生きる気力が震災前以上に回復したそうです。
  家族を失った絶望と、その絶望の後に射してきた一筋の光明のコントラストが非常に劇的に感じられ、どんな感動的な映画や文学書などの小説よりも深い感動に体が震えました。
  翌日(本日)の朝日新聞の第一面には写真付でその女性が追悼の辞を述べる場面と、追悼の辞の主旨が掲載されており、おそらく紙面を作った朝日新聞の記者も、当方と同じように追悼式典をテレビで観ていて、当方と同じような気持ちになったことは疑いようもありません。
  その女性は絶望の淵から射してきた一筋の光明で現在は頑張って生活しておりますが、
最愛の家族を失い、まだ絶望の淵にある家族は数え切れない程いることだと思います。
  震災から1年を過ぎた今、改めて我々が被災者に何をしてあげることができるかを、昨日の追悼式典の映像は改めて真剣に考えるよい切っ掛けになると思います。

投稿者 田瀬英敏法律事務所(恵比寿の弁護士)

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